大切なものと偶然性

夢とか、こだわりとか、愛する人とか、多くの人は大切なものを持っている。無根拠な、理由なく固執してしまうもの。それがなくては生きる意味がなくなってしまうようなもの。

大切なものがなくては人は生きてはいけないとは思うが、その大切なものが必然的なものであるわけではない。もちろん必然性を仮構することはできる。親や恋人などと前世からの因縁で結ばれていた、というような。そうした物語に意味がないというわけではない。しかしそれは物語である以上任意性を含んでおり、どのような物語を紡ぐかもまた必然的ではない。

例えば僕にとっては興味のあることを勉強することはかなり大切なことだが、特にそのことに必然性があるとは思っていない(昔は多分思っていた)。知的好奇心なんてものが大層なものだとも思っていない。単に遺伝子と環境の偏りによってこういうことに快楽を覚える神経が強化されただけのことだと思っている。僕がこのような人間であることは特に必然的なことではなく、生まれと過去の遍歴に依存しており、その意味で偶然によることだ(ところで我々は何を必然と呼び何を偶然と呼ぶのだろうか。生まれる前からの因縁なんてものがあったとすればそれは必然性を生むのか? 我々は何が可変的で何が不変だとみなすのか?)。

しかしその偶然性こそがある意味で絶対的であるとは言えるだろう。それ以上根拠を辿れず、逆にあらゆるものの根拠を辿っていけばその偶然性に行き着くという意味で。偶然性は無基底としての基底だ。

「ほら、ぼーっとね、してると、あ、世界があるな、て思うじゃない」

世界あれ、とつぶやけばそこには世界がある。

つぶやいた本人は、世界ができてからその世界を作ったのは自分だと気がつく。

そこになんの矛盾もなく、存在とは無矛盾性のことだとする向きもある。

従ってそこには世界を作った少女がいた。

 

冷蔵庫からコーヒーと牛乳のパックを取り出し、てきとうな割合でコップに入れて混ぜる。

一口飲んでその甘さと苦みに脳がしびれたような感覚を覚える。

 

ざ、ざ、ざ、ざ、と波の音がする。

だけどどこを向いても海は見えず、ただ砂地がえんえんと広がっているだけ。

僕は海を見たかった。だからここまでやってきたけれどさすがにうんざりしてきた。

せめて相棒がいれば、と思った僕は、自分の体の一部を引きちぎり、流れ出る透明の体液で砂を湿らせると、それをこねて人形を作る。

できた泥人形はすっくと立ち上がりどこかへ歩き出す。

そして僕を置いて行ってしまった。

「世界の境界に立つことはできない。たとえば地面に円を描いてみる。その境界を跨いで立つことはもちろんできる。それと同じように、世界の内側と外側に同時に存在することが論理的には不可能でないように思うかもしれない。たとえば神をそのような存在として考えた人はいただろう。だけどそれは無理だ。世界の境界線上に立つというのは地平線の上に立つこと、あるいは虹の根元に辿り着くことと同じような不合理だ。

君は世界の果てに行きたいという。しかしそんなものは存在しない。君はどこか別の場所へ。どこでもない場所へ行きたいだけだろう? それはつまり自己消滅願望以外の何でもない。どうして君はそれは神秘主義もどきにこしらえずにいられないんだ? 早く死ねば良いじゃないか。

そうだね、生きるのも死ぬのも嫌だと君は言う。もちろんそれは駄々をこねているようでいて、全く正当な主張だ。好きでこの世界に生まれたわけじゃないんだから。それなのに生きるのをやめるのに大きな苦痛と恐怖を伴わなければならないという理不尽。それだけで世界は憎むに値する。

君は死にたい死にたい言い続けていつか死ねば良い。それしか言うことはない。あるいは生になんらかの慰めを見出すが良い。君はニヒリストであることをやめることはできないだろうが、ニヒリストであることをしばらく忘れることはできるかもしれないから」

コミティアに出す小説の一節)

 

ねえ私は良い子だったでしょう?

たずねる君は愚かでかわいそうな子だったよ

ころころ転がるその玉だあれ?

でも本当に何もしたくなかったんだ

ただ眠っていた

それで何を待っていたの?

 

知らない、知らない、もうどこでもないんだ

一辺25メートルの立方体の端で

足をぶらぶらさせて

 

これは文字です

これは文です

これは本です

では私は何でしょう

 

そして僕たちは別れた

ただそれだけの邂逅

 

僕は走っていたけれどどこにも行けずに仕方なく海へ飛び込むと君の姿をそこに見て僕はどこかに行けるのかもしれないけどでもそれって終わりなんじゃないかな

 

「なんかさ、ない?」

「こないださ」

「うん」

「何もなかった」

「ないのか」

「うん。"何もない"しかないの」

「"何もない"だけはあるんだ、良かったね」

「ふふふ」

そして君は笑った。私も笑った。

 

「何も終わらないし何もかもが終わっていくけれどそれって何か悲しいことなのかな?」

「終わってほしいと思う? 何もかもが。世界が」

「うん、終わってほしい。でも終わってほしくないかもしれない。世界が。私が。いなくなりたいし、だけどいたい」

「いつか終わるけど、すぐには終わらないよ、きっと」

「そう、それは悲しいことなのかもしれない。悲しいことって、悲しいよね」

「嬉しいことかもしれないよ」

「そうだね、悲しくて、嬉しい」

 

「私、"かなた"に行きたいんだ」

「"かなた"? "かなた"ってあっちの方ってこと?」

「ううん、あっちって決まってるわけじゃないの。どこでもない場所なんだよ」

「どうすれば行けるの?」

「私が連れていってあげるよ」

「うん、一緒に行きたい」

だけど私たちは今もここにいる。

僕が喫茶店を出るとそこに君がいて

「ねえ、そろそろ、世界が終わるんだよ」

という。

そうかそうか世界が終わるのかそいつはめでたいね、と僕が言うと君は「ばか!」と言い捨ててどこかへ行ってしまった。ばかと言われてもね、僕はばかなんですよごめんなさい。さあおうちへ帰ろう。

うちへ帰ると君がこたつに入っていた。鍵をかけずに出かけていたので入って来れたことに不思議はないけれど、どうして僕の家の場所を知っていたのだろう。

「おじゃましてまーす」

と君は言う。やあやあ汚いところですがゆっくりしていってくださいと僕が言うと「ほんとうに汚いねえ」と可哀そうなものを見るように君は部屋を見回す。まあ本が多いから仕方ないんだ。

(続かない)

君が僕をどう思っているかは君より僕の方がよくわかっているだろうし、僕が君のことをどう思っているかは君の方がよくわかっているだろう。

どこにもディスコミュニケーションなどなく、そしてそれこそが悲惨だ。